キャリアコンサルタントを目指したきっかけ byりんご

私は、夫と2人の子供を持つ40代の働く母です。

現在は就業支援の場で
キャリアコンサルタントとして
書類作成支援や模擬面接指導、
キャリアコンサルティング業務を担当しています。

キャリアコンサルタントとして働く前は
ずっと普通のパート主婦でした。

キャリアコンサルタント資格を取得したのは
8年ほど前になりますが、
それからずっとこの仕事を続けてきました。

今回は普通のパート主婦だった私が
どうしてキャリアコンサルタントを目指したのか
そのきっかけをお話しします。

私は昔から割と仕事が好きな方でした。
若い頃は美容師や飲食業などの接客業が多く、
沢山のお客様と接する機会がありました。

そのお陰でコミュニケーションスキルが身につき、
初めてのお客様とも
自然に会話をすることが得意でした。

それと、私自身昔から
人の気持ちを感じ取ることに少々敏感な面があり、
それは接客の仕事においてかなりの強みでした。

ですが、時に分かりたくないことも分かってしまったり、
一人だけ変に感情移入してしまったりと
マイナスに働くこともしばしばありましたが、
そんな自分とバランスを保ちながら仕事をしてきました。

今から11年程前の事です。
キャリアコンサルタント資格を取得する前、
長男を出産したばかりだった私は
育児もあり
家の近くのクリーニング店で
午前中だけ短時間でパートをしていました。

そんなある日、
以前受診していた市の検診結果が
ポストに届いていました。

何気なく開封するとそこには
「要精密検査(至急大病院で再検査して下さい)」
と記載されていました。

一瞬何が起きたのかわかりませんでした。
しばらく経ってから
私は恐怖と不安と絶望に全て包まれました。

当時はまだ20代だったので、
検診の案内が来た時受診しようか迷ったのですが
2人目の妊娠を希望していた事もあり、
軽い気持ちで初めて受診したものでした。

次の日急いで大学病院へ行き
再検査をしました。

結果は「子宮頸がん」でした。

受け入れられませんでした。

まだ20代なのに
どうして自分がそんな病気になってしまったのか。

長男はまだ3歳。
2人目の妊娠もすごく楽しみにしていたのに…。

私の描いていた人生はこんなはずじゃ無い。
まだ人生を終わらせるなんて早すぎる。
神様どうか助けてください…そう祈りました。

絶望の日々の中、
私はこれまでの人生を振り返りました。

優しい両親と楽しい兄弟のもとに産まれて
楽しく育ってきて、
自分にも周りにも正直に真っ直ぐに生きてきたつもりだし、
結婚してからは子育てに家事に頑張ってきた、
まだまだ小さい我が子の成長をちゃんと見届けたい。

そんな気持ちでふと周りを見れば、
罪を犯す人や他人に迷惑をかける人たちが沢山いるのに、
なんで私なの…と自分の運命を恨みました。

私の人生がこんなにも大きく変わった日も
世間の日常は何もなかった様に流れている事に
日々呆然としていました。

ひどく落ち込んでしまった私は、
手術をすることもあり仕事を辞めました。

工場長や職場の方からは
「どうして辞めちゃうの?」と聞かれましたが、
誰にも本当の理由は言えませんでした。

その理由は恥ずかしいからではなく、
話すことで相手に不要な恐怖を
配ってしまいそうな気がしたので言いませんでした。

仕事を辞めてからの術後はしばらく家にいたのですが、
その間もずっと人生について考えていました。

生きていることを前提に
全てのことを考えていたこれまでの自分の考え方は、
全く違うものになりました。

「人生はとてつもなく儚い」

これがわかっていたはずの現実そのものでした。

自分が病気になる人間に選ばれたのは、
神様に「この世でのお前の役目はもう無い」
と言われた様な気がして、
どうせいつか儚く終わる人生なら、
自分はこれからどう生きて行きたいのか?
と自問自答の毎日でした。

結果出た答えは、
「生きている間、少しでも誰かの役に立つ人間になりたい」
というものでした。

自分でもこんな奉仕的な答えに行き着くとは
思っていませんでした。
もっと自己中心とした欲求が
湧いてくると思っていたからです。

でも違いました。
結局人生の最後を実感した時には
何にも変えがたい
「自分が生きた証」
という様なものが欲しくなりました。

それは「誰かと思いやりを交わす温かい経験や、
地球の様々な土地を旅すること、
そして誰かの役に立つこと」です。

その後、私は
就業支援施設の受付の仕事に就きました。

当初私は就業支援というのは、
単に就活経験があまり無い人に
書類の書き方や模擬面接を
指導するだけの場だと思っていましたが、
そこは少し違っていました。

それは就職活動の裏に隠れた
「人の心の支援」
も併せ持っているという事でした。

ここにくる若者はみんな悩みを持っていましたし、
非常に重い悩みを抱えている人も
そう珍しくありませんでした。

そんなある日、
20代の女性と母親が一緒に来所しました。

女性は見るからに生きる意欲が無い表情で
魂が抜けた様な雰囲気で、
ひどく痩せていました。

その親子を担当したのは、
当施設に勤務するベテランの
女性キャリアコンサルタントでした。

しばらくその親子と面談室で話をした後、
母親だけが部屋から出てきました。

そしてその1時間後に
女性とキャリアコンサルタントが2人で出てきました。
私は驚きました。

その女性の表情が来た時とは
全く違う表情になっていたんです。
女性の目が生きていました。

相談室の中でどんなやりとりがあったのかはわかりませんが、
明らかに女性が違っていたことに本当に驚きました。

それからその女性は一人で来所する様になり、
半年位の就職活動を経て
地元の縫製会社へ就職が決まりました。

就職が決まってから
一度感謝のお手紙が届きました。

その内容はシンプルな文面で
「元気に働いている」という知らせでした。

私はその手紙を見て、
心から「良かったね」と、
とても胸が熱くなったことを覚えています。

私はこの様な場面を
何度も目の当たりにするにつれて
キャリアコンサルタントの仕事に
興味を持ちはじめました。

仕事とは人生です。

「どんな風に働いていきたいか」は
「どんな風に生きていきたいか」と
同じ意味を持っているのだと思います。

これまで私は長い時間
「どう生きていきたいか」を考えてきました。

それはキャリアコンサルタントの仕事の
真髄と通じるところがありました。

そんな時にベテランの女性キャリアコンサルタントの方に
声をかけられました。

「あなたもこの仕事に興味があるなら
なんでも挑戦してみなさい!
あっという間に日が暮れてしまうわよ」
と言われました。

病気が判明した時に感じた
「人生がとてつもなく儚い」
と思った当時の気持ちを鮮明に思い出しました。

誰かの役に立ちたいと思っていたけど
実際にはまだ何も動けていない。

これからはキャリアコンサルタントとして
誰かの役に立ちたいと思い、
その時「キャリアコンサルタントになろう!」と決めました。

それからは勉強の毎日でした。
毎日欠かさず3時間は勉強時間に費やしました。

これも家族の協力がありました。
主人は私の気持ちを理解してくれ、
私の好きな様にさせてくれました。

私はその気持ちに応えたくて勉強に励んだ結果、
なんと学科・実技ともに1発合格を果たす事ができ、
晴れてキャリアコンサルタントとしての
第2の職業人生が始まりました。

この仕事を続けていて感じるのは、
人は誰かに信じてもらうと
生きる力が湧いてくるという事です。

それが赤の他人のキャリアコンサルタントであってもです。

私はキャリアコンサルタントとは、
相談者の中に既にある答えに辿り着ける様に
様々な言葉掛けを通して、
これまでの経験を一緒に整理しながら、
自分の本当の気持ちや思いに気が付かせることが
目的だと思っています。

自分で整理がつかなくなった思いを
一緒にパズルの様に当てはめていく作業に似ています。
なのでアドバイスはしても指示はしません。

それは相手の尊厳を無視する行為だからです。
最後の最後まで相談者を心から信じます。

私は一度自分は死んで、
運よくまた命を授けてもらったと思って生きています。

今ではその経験をした自分は
長い時間をかけて学ぶ大切な事をギュッと詰め込んで
早めにプレゼントしてもらった様な気がして感謝しています。

この強みは私にだけ与えられたものだと思い
大切にしながら今後もキャリアコンサルタントとして
誰かのお役に立てるように頑張って行こうと思っています。

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